5限目:パンドラの箱を開けるのは誰なのか?――その鍵を持っているのは、あなた自身
はい、席について~。
人生学始めま~す(  ̄▽ ̄)
今回のパンドラの箱シリーズ第5段のテーマは、
“パンドラの箱を開けるのは誰なのか?”
について解説していこうと思いま~す。
まぁ、そんなこと言わなくても分かってるよね?
その箱を~♪︎
開けるのは~♪︎
あな~た~♪︎
さて、これまでの授業では、
「パンドラの箱とは何か?」
「呪核とは何か?」
「なぜパンドラの箱は作られるのか?」
「パンドラの箱は誰にでもあるのか?」
について話してきましたね。
では、自分の中にパンドラの箱があることに気づいたとします。
その中には、
「本当は悲しかった」
「本当は寂しかった」
「本当は腹が立っていた」
「本当はこうしたかった」
そんな長い間封印してきた感情や意思が眠っているかもしれません。
さらにその奥には、現在の自分を苦しめている「呪核」が存在しているかもしれない。
では、
パンドラの箱があると分かったら、絶対に開けなければならないのだろうか?
答えは、
「NO!」
です。
パンドラの箱を開けるのか。
開けないのか。
それを決めるのは、親でも、私でも、カウンセラーでも、人生学でもありません。
本人自身が決めることなのです。
なぜなら、
パンドラの箱の封印を解く鍵を持っているのは、本人だからです。
他人のパンドラの箱を勝手に開けてはいけない
誰かの問題が見えてくると、
「あなたは過去と向き合った方がいい」
「親との関係を見直した方がいい」
「その問題を解決した方が幸せになれる」
と言いたくなることがあると思う。
実際、巷ではそういうビジネスも数多くありますからね。
「あなたを救います!」
「これさえすれば、あなたも変われます!」
的な?
「それは悪手だ!」
なんて言うつもりは一切ないし、
それが、その人のやり方なんだなぁ~としか思わないけどさ。
でも確かに、手軽に変われてしまうことに惹かれる気持ちも分かる。
そういう人をターゲットにした方が稼げることも分かる。
先生もズボラだからね~(笑)
そりゃあ、先生だって楽してお金稼ぎたいよ~!
まぁ、大金稼いだところで使い道は特にないんだけどね(笑)
それに、実際向き合うことで人生が変わることもある。
でも、
「向き合った方がいい」と「向き合わせていい」は別の話だ。
本人が、
「今は見たくない」
「思い出したくない」
「そこには触れたくない」
と思っているのであれば、その意思も尊重する必要がある。
「向き合わないと変わらないよ!」
「変わらなければ、今までと同じだよ!」
「今すぐやらないと!」
「私の講座を受ければ~」
みたいに、煽って行動させようとする人も中にはいるけど。
そもそもパンドラの箱は、
かつての自分が自分自身を守るために作ったものかもしれない。
そこには、その人にとって簡単には扱えないものが入っている。
だから他人が、
「あなたのためだから!」
と言って、無理やり蓋を開けるものではないということです。
「あなたのためだから」で主導権を奪わない
ここは人生学にとって、とても重要なところです。
親から、
「あなたのためだから!」
と言われ、
進路を決められた。
習い事を決められた。
仕事を決められた。
生き方まで決められた。
そうやって自分の意思を封印してきた人に対して、今度は人生学が、
「あなたのためだから、過去と向き合いなさい!」
と強制したらどうだろうか。
やっていることの構造は一緒です。
本人のためと言いながら、
本人の人生の主導権を奪っている。
それでは、人生学が目指しているものと矛盾してしまう。
人生学が目指しているのは、
誰かを人生学の考え方に従わせることではありません。
自分の人生の主導権を、自分自身で握れるようになることが目的です。
なら当然、
パンドラの箱を開けるかどうかについても、
本人に主導権がなければならない。
そう、考えています。
「臭い物に蓋をする」のは悪いことなのか?
昔から、
「臭い物には蓋をする」
という言葉があります。
都合の悪い問題を隠したり、見て見ぬふりをしたりすることを表した言葉です。
一般的には、あまり良い意味では使われません。
確かに、
問題と向き合わなければ、根本的な解決にはならないことがある。
でも私は、
臭い物に蓋をすること自体が、必ずしも悪いとは思っていません。
人間は、いつでも自分の問題と向き合えるほど強いわけではないからです。
今はまだ怖い。
今は余裕がない。
思い出すだけでも苦しい。
今はそこまで向き合いたくない。
だったら、
今は蓋をしておく。
そんな選択肢があってもいいと思います。
問題なのは「蓋をしていること」まで否定すること
人生学で重要なのは、
蓋をするかどうか以上に、
自分が蓋をしていることを認めているかどうか
だと考えます。
例えば、
「私は、この問題とは今は向き合いたくない」
「過去に問題があったことは分かっている」
「でも、今はパンドラの箱を開けない」
そう認識したうえで蓋をしているのであれば、
それは本人が選択したことです。
でも、
「そんな問題なんて最初からない」
「私は全然気にしていない」
「もう全部解決した」
と言いながら、同じ問題を繰り返している。
それでは、自分が何を選択しているのかさえ見えなくなってしまう。
だから人生学では、
「開けたくないなら、開けなくてもいい。ただ、自分が開けないことを選んでいると認めよう」
と考えます。
逃げることだって、自分で選んでいい。
「逃げる」という言葉も、一般的には悪い意味で使われがちです。
「逃げずに向き合え!」
「現実から逃げるな!」
と言われることがあります。
でも、人間には逃げたくなることだってあります。
怖い。
苦しい。
今は無理。
だったら、
逃げるという選択があってもいいんだ。
逃げるという行為は、恥ずべき行為じゃない。
ただし、
「俺は逃げてなんかいない!」って言ってるヤツ。
テメェーはダメだ!笑
「自分は逃げてなんかいない!」
と自分自身に嘘をつくのではなく、
「私は今、この問題から逃げることを選ぶ!」
と認める。
そこには、ちゃんと自分の意思がある。
人生学が重要だと考えているのは、
いつでも勇敢に問題へ立ち向かうことではない。
自分が何を選んでいるのかを、自分自身が理解していることなのさ。
「開けない」というのも、人生の主導権
パンドラの箱を開ける。
過去と向き合う。
呪核を浄化する。
それによって人生が変わる可能性はあります。
だからといって、
「今すぐ開けることが正解」
とは限らない。
今は開けない。
もう少し時間が経ってから開ける。
一生開けない。
どれも本人が選択できる。
つまり、
「パンドラの箱を開けない」という選択も、
自分の人生の主導権を握ることの一つ
なのです。
ただし、選択には結果がついてくる
ただ、一つだけ忘れてはいけないことがある。
それは、
どんな選択にも、その先の結果がある
ということです。
パンドラの箱を開けないことで、
呪核が現在の人生に影響し続けるかもしれない。
同じような人間関係を繰り返すかもしれない。
誰かから認めてもらうことを求め続けるかもしれない。
自分で決めることができないままかもしれない。
本当は嫌なのに断れない状態が続くかもしれない。
人生がさらに苦しい方向へ進むこともあるかもしれない。
【地獄のエンドレスエイト】から抜け出せないまま人生を終えるかもしれない。
濁ったソウルジェムが自分から子どもへ、そして子どもから孫へと引き継がれるかもしれない。
もちろん、
「箱を開けないと必ず不幸になる」
という意味ではない。
未来のことは誰にも分からないから。
ただ、
現在の問題の原因が箱の中にあり、
その原因に触れないのであれば、
問題が残り続ける可能性もある。
そこは理解しておく必要があります。
「選ぶ自由」と「結果を引き受けること」はセット
人生の主導権を握るということは、
「好き勝手に生きればいい」
という意味ではありません。
自分で選ぶ。
そして、
自分が選んだことによって起きる結果も、自分の人生として引き受ける。
そこまで含めて主導権です。
パンドラの箱を開ける。
それも自分の選択。
開けない。
それも自分の選択。
ただ、
「私は開けないと決めた。でも、その結果だけは誰かに何とかしてほしい!」
となれば、主導権を握っているとは言えないよね。
自由には、選択がある。
そして選択には、結果がある。
「自由には責任が伴う」
っていう言葉はよく耳にするよね。
選ぶ自由。
選ばない自由。
どちらを選んでも構わない。
ただし、それを選んだ結果どうなるかは、自分の責任なのさ。
だから人生学では、
本人から選択する権利を奪わない代わりに、
その選択を本人自身のものとして扱っている。
人生学は「救ってあげる場所」ではない
人生学ができることには、限界がある。
例えば、
「現在起きている問題には、こういう構造があるのかもしれない。」
と分析することはできる。
人生OSを見ることもできる。
ソウルジェムの状態を考えることもできる。
パンドラの箱の存在を一緒に探すこともできる。
その中に、どんな呪核が存在しているのかを考えることもできる。
そして、
「もし向き合うのであれば、こういう方法があるよ~♪」
と提案することもできる。
でも、
本人の代わりにパンドラの箱を開けることはできません。
人生学は、
誰かを救ってあげる場所ではありません。
本人の代わりに問題を解決する場所でもありません。
自分の人生を変えるのは、最終的には本人です。
先生ができるのは「地図を渡すこと」
「あなたは今、この辺りにいるのかもしれません」
「この先には、こういう道があります」
「こちらへ進むと、こういう場所があります」
「ここには危険な場所があります」
「こういう方法を使えば進みやすくなります」
そこまでは教えられる。
でも、
実際にどの道を歩くのかを決めるのは、生徒本人です。
先生が生徒を背負ってゴールまで運んでしまったら、それはもう生徒自身の人生ではありません。
人生学がしたいのは、
代わりに歩くことではなく、
自分の足で歩けるようになるための手助けをすること
なのですよ。
パンドラの箱の鍵は、あなたが持っている
だから、
パンドラの箱の鍵を人生学が預かることはありません。
親も持っていません。
先生も持っていません。
誰か偉い人が持っているわけでもありません。
最初から、あなた自身が持っています。
人生学が、
「そこに箱があるかもしれませんよ」
と伝える。
「その中には、こんな呪核があるかもしれませんよ」
と一緒に考える。
「もし開けるのであれば、その先にはこういう道がありますよ」
と説明する。
そして最後に、
「どうしますか?」
と、本人に選択を委ねます。
開ける。
開けない。
今は開けない。
いつか開ける。
それを決めるのは、本人ですから。
一生開けずに、墓場まで持っていくこともできる
極端なことを言えば、
パンドラの箱を一度も開けることなく、
一生封印したまま墓場まで持っていく
という人生だって選べます。
人生学は、
「そんな人生は間違っている!」
とは言いません。
その人が、
「私はこの箱を開けない!」
と理解したうえで選んだのであれば、それもその人の人生です。
人生には、さまざまな選択がある。
人生学がその人の代わりに、
「こっちの人生が正解です」
と決めることはできない。
今は開けたくない。
それなら、開けなくても構わない。
人生学は、
無理やり鍵を奪わない。
箱をこじ開けることもしない。
「向き合わなければダメだ!」
と追いかけることもしない。
でも、もし数年後でも、
もっと先でも、
ある日ふと、
「やっぱり、このままでは嫌だ!」
「自分がなぜこうなったのか知りたい!」
「自分と向き合ってみたい!」
「パンドラの箱を開けてみたい!」
と思ったのなら。
その時は、いつでもここへ来てくれ!
箱の中に何があるのか。
なぜ呪核が生まれたのか。
それが現在の人生にどう影響しているのか。
どうすれば、その呪縛から自由になれるのか。
その原因と構造を、一緒に考えていこう。
人生学が守りたいのは「本人の主導権」
人生学が大切にしているのは、
すべての人にパンドラの箱を開けさせることではありません。
呪核をすべて浄化することでもありません。
その前にある、
「自分の人生を、自分で選ぶこと」
です。
開ける自由がある。
開けない自由もある。
向き合う自由がある。
今は向き合わない自由もある。
そして、
選んだ結果も含めて、自分の人生として生きていく。
それが、
自分の人生の主導権を握る
ということなのだと思う。
だから人生学は、あなたから鍵を奪いません。
代わりに箱を開けることもしません。
鍵は最初から最後まで、
あなた自身が持っています。
そして、
もし自分の意思で鍵を差し込み、
「この箱を開ける!」
と決めたのなら。
その先で待っているのが、
「呪核の浄化」
です。
パンドラの箱を開けたあと、何をすればいいのか。
過去と向き合うとは、具体的にどういうことなのか。
呪核を消すのではなく、「浄化する」とはどういうことなのか。
それについては次回の授業、
「呪核を浄化するとはどういうことか?」
で、解説していこうと思いま~す( ̄▽ ̄)/
はい、今日の授業はここまで。
起立。
気をつけ。
礼。
では、解散~。
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