4限目:パンドラの箱は誰にでもあるのか?――ソウルジェムが輝いていても、濁ることはある
はい、席について~。
人生学始めるよ~(  ̄▽ ̄)
今回のパンドラの箱シリーズ第4段のテーマは、
“パンドラの箱は誰にでもあるのか?”
について解説していこうと思いま~す。
これまでの記事では、
第1回で「パンドラの箱とは何か?」
第2回で「呪核とは何か?」
第3回で「なぜパンドラの箱は作られるのか?」
について話してきました。
ここまで読むと、一つ疑問が出てくるかもしれません。
「パンドラの箱って、誰にでもあるのか?」と。
人間なら誰でも、自分の意思や感情を心の奥に封印しているのではないか?
人生学では、
「すべての人が、必ずパンドラの箱を持っている」
とは考えません。
幼少期に十分な愛着形成がなされ、
自分の意思や感情を安心して表現できる環境で育った人であれば、
そもそも自分自身を封印する必要性が少ないからね。
ただし、
「今までパンドラの箱がなかったから、これからも絶対に作られない」
というわけでもない。
人生には、自分ではコントロールできない出来事も起こるからね。
なので人生学では、
パンドラの箱は誰にでも必ずあるわけではない。
しかし、誰にでも作られる可能性はある。
と考えます。
- パンドラの箱は「人間なら必ず持っているもの」ではない
- ソウルジェムが輝いている人は、自分を封印する必要が少ない
- 「自分を出しても大丈夫」という安心感
- 人生OSがあるから、パンドラの箱があるわけではない
- 母親のソウルジェムが輝いていることも関係する
- ただし「母親のソウルジェムが輝いている=完璧な親」ではない
- では、ソウルジェムが輝いていれば一生安心なのか?
- 人生には「たまたま」がある
- 「何か原因があるはず」と考えすぎない
- 偶発的な外的要因によって、ソウルジェムが濁ることもある
- そして、後天的にパンドラの箱が作られる
- パンドラの箱には「幼少期型」と「後天型」がある
- 同じ箱でも、根っこの構造は違う
- ソウルジェムは「輝くか、濁るか」の二択ではない
- パンドラの箱があることは「弱い」という意味ではない
- 「パンドラの箱がある=親に問題があった」とも限らない
- 誰にでもあるわけではない。でも、誰にでも作られる可能性はある
パンドラの箱は「人間なら必ず持っているもの」ではない
前回では、パンドラの箱が作られる構造について、
養育環境
↓
愛着形成
↓
ソウルジェム
↓
人生OS
↓
パンドラの箱
↓
呪核
という流れを説明しました。
幼少期に、
「自分を出すと怒られる」
「親の期待に応えなければ愛してもらえない」
「自分の意思より親の意思を優先しなければならない」
と学習すれば、
自分を守るために、
「本当は嫌だ!」
「本当は悲しい!」
「本当はこうしたい!」
という自分自身をパンドラの箱へ封印することがあります。
では反対に、
自分を封印する必要がなかった人はどうだろうか?
その場合、大きなパンドラの箱そのものが作られない可能性があります。
ソウルジェムが輝いている人は、自分を封印する必要が少ない
人生学では、自分自身に対する価値や心の状態を、
【ソウルジェム】
という比喩で表現しています。
例えば、
「私は私のままでいい!」
「失敗しても、自分の価値はなくならない!」
「嫌われても、自分そのものを否定する必要はない!」
「自分の気持ちを表現してもいい!」
「困ったときには誰かを頼ってもいい!」
そんな感覚がある状態を、
ソウルジェムが比較的輝いている状態
と表現している。
では、なぜソウルジェムが輝いていると、パンドラの箱が作られにくいのか。
理由はシンプルです。
わざわざ自分自身を封印する必要がないからです。
「自分を出しても大丈夫」という安心感
例えば、子どもが、
「今日はこれをやりたくない!」
と言ったとする。
それに対して親が、
「やりなさい!」
と即座に否定するのではなく、
「そうなんだ。どうして~?」
と、まず気持ちを受け止める。
もちろん、子どもの要求をすべて叶える必要はありません。
できないことは、
「気持ちは分かったよ。でもやらないと困ることになるよ?」
と伝えることもできます。
大切なのは、
意思や感情を持つこと自体を否定されないことです。
「嫌だと思ってもいい」
「悲しくてもいい」
「怒ってもいい」
「親と違う意見を持ってもいい」
「失敗しても愛されなくなるわけではない」
そんな経験を繰り返す。
すると子どもは、
「自分を出しても、この世界は壊れない」
という感覚を持ちやすくなります。
だったら、
「本当は嫌だった」
「本当は悲しかった」
「本当はこうしたかった」
という自分を、心の奥へ隠す必要がありません。
だから、
パンドラの箱そのものが作られにくい。
というわけです。
人生OSがあるから、パンドラの箱があるわけではない
ここも重要。
人生OSは、誰にでも形成される。
人は生きていく中で、
「約束は守ろう」
「人には親切にしよう」
「挨拶をしよう」
「仕事では責任を果たそう」
など、さまざまな価値観やルールを身につけていきます。
それ自体が問題なのではありません。
問題になるのは、
その人生OSを守るために、自分自身を犠牲にしなければならない状態
です。
例えば、
「人には親切にしよう」
と思っている。
でも、嫌なことは、
「それはできません」
と断れる。
これは、
人生OSを持ちながら自分の意思も尊重できている状態です。
反対に、
「人には親切にしなければならない」
「断ったら嫌われる」
「嫌われる私は価値がない」
となってしまえば、
「本当は断りたい!」
という自分を封印する必要が出てくる。
つまり、
人生OSがあることと、
パンドラの箱があることは別の話なのです。
母親のソウルジェムが輝いていることも関係する
そして、子どものソウルジェムを考えるうえで、
親自身のソウルジェムの状態
も無関係ではありません。
例えば、母親自身が、
「私は私のままでいい!」
という感覚を持っていたとする。
子どもが自分とは違う考えを持っていても、
「この子はこの子」
と考えられる。
子どもの成功によって、自分の価値を証明する必要がない。
世間から、
「立派なお母さんですね」
と認められるために、子どもを利用する必要もない。
そんな状態であれば、
子どもを自分の理想通りにコントロールする必要性も比較的低くなる。
「私はこう思う。でも、あなたはどうしたい?」
という関係を作りやすい。
すると子どもも、
親に愛されるために、自分を捨てる必要がありません。
その結果、
安定した愛着形成がなされ、
子どものソウルジェムも輝きやすくなり、
パンドラの箱も作られにくくなる。
人生学では、そのように考えます。
ただし「母親のソウルジェムが輝いている=完璧な親」ではない
ここで誤解してほしくないのは、
ソウルジェムが輝いている親なら、子育てで絶対に失敗しないという話ではありません。
親も人間です。
怒ることもある。
間違えることもある。
余裕がない日もある。
子どもの気持ちを理解できないことだってあります。
大切なのは、
一度も傷つけないことではない。
傷つけてしまった時に、
「さっきは言い過ぎたね」
「あなたはそう思っていたんだね」
と関係を修復できる。
子どもの感情そのものを否定しない。
親とは違う一人の人間であることを認め、尊重する。
そうした関係性があるなら、
一度怒られたからといって、
すぐに大きなパンドラの箱が作られるわけではないだろう。
人生学で考えたいのは、
完璧な親かどうかではなく、
子どもが自分自身でいることを許される環境だったかどうか
なのだ。
では、ソウルジェムが輝いていれば一生安心なのか?
ここでもう一つ疑問が出てきます。
幼少期に愛着形成がしっかりなされ、
ソウルジェムが輝いている。
パンドラの箱もほとんど作られなかった。
だったら、その人は一生パンドラの箱を作ることはないのか。
そんなことはありません。
ソウルジェムが輝いているからといって、絶対に濁らないわけではない。
人生では、
自分の意思とは関係なく、突然大きな出来事に巻き込まれることがあるからね。
人生には「たまたま」がある
例えば、
いじめを受ける。
痴漢被害に遭う。
性的暴行を受ける。
犯罪に巻き込まれる。
大きな事故に遭う。
災害に遭う。
突然、大切な人を失う。
信頼していた人から重大な裏切りを受ける。
こうした出来事の中には、
本人の人生OSや親子関係とは関係なく起きるものがあります。
本人に何か問題があったからでもない。
ソウルジェムが濁っていたからでもない。
たまたま、その場所にいた。
たまたま、その人と出会ってしまった。
たまたま、タイミングが重なった。
ただ、それだけのこともある。
人生には、
本人の努力や人格ではコントロールできない偶発的な出来事
がある。
「何か原因があるはず」と考えすぎない
人生学では原因を分析することを大切にしています。
でも、
何でも本人の内面に原因を求めればいいわけではありません。
例えば、犯罪被害に遭った人に、
「あなたの人生OSに問題があったからでは?」
「ソウルジェムが濁っていたから引き寄せたのでは?」
と考えるのは違う。
世の中には、
本人とは無関係な外的要因によって起きることがある。
人生学が原因を分析する目的は、
何でも本人の責任にするためではない。
今、起きている問題について、
「どこから影響が始まったのか?」
を正確に見つけるためである。
原因が外部にあるなら、
「これは外的要因によるものだった」
と考える必要があるのだ。
偶発的な外的要因によって、ソウルジェムが濁ることもある
それまで、
「自分には価値がある」
「世界はそれなりに安全だ」
「困ったときには誰かを頼れる」
と思えていた人でも、
非常に強い出来事を経験すれば、その感覚が揺らぐことがある。
例えば、
「世界は安全だと思っていたのに、突然酷い目に遭った」
「人を信頼していたのに、裏切られた」
「自分は大丈夫だと思っていたのに、何もできなかった」
そんな経験によって、
恐怖。
悲しみ。
怒り。
無力感。
自己否定。
さまざまな感情が生まれることがある。
人生学的に表現すれば、
偶発的な外的要因によって、輝いていたソウルジェムが濁ることがある
ということなのだ。
そして、後天的にパンドラの箱が作られる
あまりにも大きな出来事だった場合、
そのときの自分には受け止めきれないこともあります。
思い出したくない。
考えたくない。
怖い。
苦しい。
今は向き合えない。
だったら、一度心の奥へしまう。
パンドラの箱へ封印する。
これは、幼少期のパンドラの箱と同じように、
自分を守るための働きだと考えることができる。
つまり、
幼少期には大きなパンドラの箱がなかった人でも、
人生の途中で、
後天的にパンドラの箱が作られる可能性がある
ということです。
パンドラの箱には「幼少期型」と「後天型」がある
ここまでを人生学として整理すると、
パンドラの箱には大きく二つの形成経路があると考えることができます。
一つ目は、
【幼少期型パンドラの箱】
です。
親子関係や養育環境の中で、
「自分を出すと危険だ!」
「親の期待に応えなければならない!」
「自分の気持ちは我慢した方がいい!」
と学習し、
生存戦略として自分の意思や感情を封印する。
もう一つは、
【後天型パンドラの箱】
です。
もともとは愛着形成が比較的安定し、ソウルジェムも輝いていた。
しかし、
事故。
犯罪被害。
いじめ。
突然の喪失。
重大な裏切り。
その他の偶発的な外的要因によって強く傷つき、
そのときには処理しきれなかった感情や経験を封印する。
同じ「パンドラの箱」でも、
作られた経緯が違う
ということです。
同じ箱でも、根っこの構造は違う
この違いは、とても重要です。
幼少期から、
「自分には価値がない!」
という感覚を持っていた人と、
もともとは、
「自分には価値がある」
と思えていた人が、偶発的な出来事によって傷ついた場合では、
同じように苦しんでいたとしても、根っこの構造が違います。
前者は、
自己価値そのものの土台から傷ついている
可能性がある。
後者は、
もともとの自己価値の土台は存在しているものの、強い外的要因によって一時的、あるいは部分的に濁っている
可能性がある。
だから人生学では、
表面に現れている問題だけを見て、
「この人も同じ原因だ!」
とは判断しません。
どこから問題が始まったのか?
を見ていく必要があるのです。
ソウルジェムは「輝くか、濁るか」の二択ではない
そして、ソウルジェムも、
「輝いている人」
「濁っている人」
という二種類に完全に分かれるものではありません。
人生の中で、
輝くこともある。
濁ることもある。
濁ったあと、再び輝くこともある。
ある部分では安定していても、特定の領域だけ強く傷ついていることもある。
人生は変化し続ける。
だから、
ソウルジェムの状態も固定されたものではありません。
これは、
「一度濁ったら終わり」
という話ではないということでもあります。
パンドラの箱があることは「弱い」という意味ではない
後天的なパンドラの箱という考え方を入れると、
もう一つ分かることがある。
パンドラの箱を持っているからといって、
その人が弱いとは限らない
ということです。
どれだけ安定した人でも、
どれだけ自己価値が育っている人でも、
その人がその時点で処理できる量を超える出来事が起きる可能性がある。
そんな時、
一時的に封印する。
今は見ない。
今は考えない。
それによって日常生活を維持する。
それも、自分を守るための方法なのかもしれない。
だから人生学では、
「箱を作ったこと」そのものを責めません。
大切なのは、
その箱が現在の人生にどんな影響を与えているのかを知ることなのです。
「パンドラの箱がある=親に問題があった」とも限らない
ここも、特に伝えておきたいことである。
パンドラの箱が見つかったからといって、
「あなたの親子関係には問題がありました」
と即座に結論づけることはできません。
親子関係が良好だったとしても、
後天的な外的要因によって箱が作られることはあります。
反対に、
親子関係に多少問題があったからといって、
必ず大きなパンドラの箱が形成されるとも限りません。
人には、
生まれ持った気質もあります。
周囲の人間関係もあります。
人生経験もあります。
さまざまな要因が複雑に絡み合っている。
だから人生学では、
「箱がある。じゃあ母親が原因だ」
という単純な分析はしません。
必要なのは、
「この箱は、いつ、何のために作られたのか?」
を見ていくことなのだ。
誰にでもあるわけではない。でも、誰にでも作られる可能性はある
ここまでの話をまとめると。
人生学では、
すべての人が必ずパンドラの箱を持っている
とは考えない。
幼少期に十分な愛着形成がなされ、
ソウルジェムが比較的輝き、
自分の意思や感情を安心して表現できる環境で育った人なら、
自分自身を長期間封印する必要性は低くなる。
そのため、
大きなパンドラの箱が作られないこともあるだろう。
しかし、
ソウルジェムが輝いているからといって、一生濁らないわけではない。
人生には、
自分ではコントロールできない出来事がある。
運。
タイミング。
偶然。
自分とは無関係な他人の行動。
そうした偶発的な外的要因によって傷つき、
ソウルジェムが濁り、
後天的にパンドラの箱が作られることもある。
だから、人生学における答えは、
「パンドラの箱は誰にでも必ずあるわけではない。しかし、誰にでも作られる可能性はある。」
では、
その箱を誰が開けるのか?
パンドラの箱があることに気づいた。
その中に呪核が存在していることも分かった。
では、
その箱は、絶対に開けなければならないのだろうか?
人生学の答えは、
「いいえ」
です。
開けるのか。
開けないのか。
今は開けないのか。
一生開けずに生きていくのか。
それを決める権利は、人生学にも、親にも、私にもありません。
なぜなら、
パンドラの箱の封印を解く鍵を持っているのは、本人だけだからです。
さて次回は、
「パンドラの箱を開けるのは誰なのか?」
についてお話ししていきたいと思いま~す。
お楽しみに~♪
はい、今日の授業はここまで。
起立。
気をつけ。
礼。
では、解散~。
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